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ディズニーが著作権に厳しい理由

夢の国の著作権支配

ディズニーはなぜ、これほどまでに「著作権」に対して厳しいと言われているのでしょうか。

子供が描いた壁画を消させ、一秒の音源利用も検知するその姿勢は、世間からはしばしば「不寛容」と言われたりもしています。

なぜ、彼らはここまで執念深く「権利」を抱え込むのか。
よく語られる「オズワルドを奪われた悲劇」……ですが、事実はもっと複雑でした。

今回は「オズワルドの悲劇」をもっと深く、そして様々な視点で解説していこうと思います。


契約を軽視した天才起業家の成功体験

1921年、当時20歳のウォルトは、会社員生活の中で行った提案が通らず「だったら自分でやってやるよ」と起業します。

設立したのは「ラッフォグラム社」。ウォルト・ディズニー・カンパニーではなかったんですね。

後年の彼を知る者には信じがたいことですが、この時の彼は、自分の会社のコントロール権さえ十分に持っていませんでした。

全300株のうち、ウォルトの持ち株はわずか70株。
残りは外部投資家や従業員の手にありました。
ここでウォルトは赤ずきんちゃんなどをはじめとする童話アニメシリーズを生み出しました。
この時からウォルトは童話を元にアニメ作品を作っていたことは面白い点ですよね。

ちなみに、実はこの「童話を元にアニメを作る」という案はウォルトが始めたわけではありません。ウォルトが非常に参考にしていたのされるポール・テリーという人物の「イソップ物語」から発想が生まれたとされています。
ウォルトは確かに後年、オリジナリティーあふれる誰も見たことのない創造物を生み出した天才ですが、出発点を見ると、実は「新しい発想をしていた」人物ではなく、「新しい発想を、数倍クオリティー高く仕上げるプロ」だったんですね。

実際、名声を得る前までのウォルトは先人の真似をよくしていました。
「ミッキー」だって、ポール・テリーの作品の中で凄く似ているネズミを参考に作られていると言われていますし、ウォルト・ディズニー・カンパニーの初作品”Alilce’s Comedy”だって、当時の大人気キャラ”フェリックス・ザ・キャット”にそっくりな猫がいます。
また、蒸気船ウィリーは「世界初のトーキーアニメ」なんてイメージがあるかもしれませんが、これも事実とは異なります。
つまり、どんなに優れた天才クリエーターも最初は真似から生まれているわけですね。
真似があって初めて世に新しい創造物が生まれるわけです。

初期のころのウォルトは自身も真似て作品を作っていた経験から、まさか後にここまで著作権に自分が厳しくなることは想定していなかったでしょう。

さて、ラッフォグラム社でしたが、残念ながら取引先が未払いを起こし、会社は資金難に陥ります。

資金難に陥った際、彼は給与の代わりに「会社の株」を配っていました。
所謂「ストックオプション」ですね。
従業員たちも、ウォルトも給与ほぼゼロで、会社に寝泊まりしながら一日中働いていましたが、会社はもう立ち直れませんでした。

そして1923年、倒産。
会社のものは多く差し押さえられました。
彼は絶望の中、全財産のたった40ドルと殆ど何も持っていないスーツケースを手に親戚がいるハリウッドへの向かいました。

流石にウォルトも相当落ち込んだことでしょう。
このあと、アニメ業界を離れることを一度検討しているのです。
この時彼は、映画監督への就職を試みましたが、残念ながら全て断られてしまいました。

映画監督への道が閉ざされたウォルトは再度、ラッフォグラム社で作っていたフィルム『アリスのワンダーランド』を持ってハリウッドで営業をかけます。

そしてその時、本当に運よくマーガレット・ウィンクラーとの配給契約が決まり、今のウォルト・ディズニー・カンパニーの前身となる会社が出来上がりました。

さて、ここでウォルトは、権利すり抜けに直面します。
倒産した会社に残ったフィルム『アリスのワンダーランド』は、法的には「債権者たちの共有物」であり、ウォルト個人のものではなかったはずです。 しかし、彼はそれを自分自身のものにし、配給営業を行い、成功しました。
「汗水たらして頑張って生み出したのは自分だ、だから自分のものになるはずだ」という、クリエイターとしてのあまりにも素朴な、しかし法的には危うい「思い込み」を強めていったんですね。


オズワルドの大成功

「ユニバはウォルトからオズワルドを奪った悪」のような印象がありますが、実際はどうだったのか、オズワルドが出来上がる経緯をみていきましょう。

1927年、ユニバーサルから「ウサギのキャラクターを作ってほしい」という依頼がマーガレット・ウィンクラーの夫の元へ入りました。
なぜ「ウサギ」だったのかは定かではありませんが、当時ネコのキャラクターは世の中にあふれまくっていましたので、観客ももう飽きただろう、ということで「ウサギ」の依頼をしたわけです。

この時ミンツが動かせるアニメ制作会社の中で空きがあるのがディズニーだけでした。
その為、ミンツはこのユニバーサルからの案件をディズニーにお願いすることになります。

これを元にウォルトはアイワークスと共にキャラクターデザインを練り、いくつかをユニバーサルに送りました。その中で選ばれたのが、みんなが知っているあの絵でした。

コイツ。可愛い。

そして、ユニバーサルの宣伝部長がそれの名前を「オズワルド」と命名しました。
名前はくじ引きで決められたと言われています。

しかし、新キャラクター「オズワルド」の船出は、決して順風満帆ではありませんでした。
記念すべき第1作目『Poor Papa』を観たミンツとユニバーサルの反応は、酷評。
「性格に魅力がない」「これでは使い物にならない」という、批判を受けてしまいました。

ウォルトたちは、第2作『Trolley Troubles』で起死回生を図ります。
ミンツの指示に従い、オズワルドを「元気で冒険好きな性格」へと大胆にリモデル。
実はこのタイトル、ミンツが参考にするよう命じた喜劇俳優ハロルド・ロイドの主演作から名付けられたものでした。この2作目が好評で、早速全国配給を開始。

オズワルドはたちまち人気になっていきました。

さあ、どうでしょうか。
ここまで聞くと「ウォルトが頑張って作ったのに、ユニバーサルが奪って行った」のような単純化できる話ではないことが分かってきたのではないでしょうか。

今のエンタメ業界風に言うと、ウォルト・ディズニー・カンパニーは「制作請負会社」に過ぎず、ミンツは代理店プロデューサー、ユニバーサルはチーフ・プロデューサー兼起案者というところでしょうか。
つまるところ、確かに一番手を動かして頑張っていたのはディズニー社でしたが、資金を出している訳でもない上に特別な契約を結んでいない以上、ウォルトに権利がないのは割と別に変な話でもないのですが、しかしウォルトは「自分たちが一番頑張っている。きっと作っている自分たちがオズワルドを好きにできるはずだ」と思っていたわけですね。
確かにこれまでは、ウォルトのその論理はある程度通用していました。しかし、ビジネスの世界、かつユニバのような大企業が絡んでくると、事実はそう甘くなかったと思い知らされるあの大事件が起こります。


オズワルドと仲間を喪失

オズワルドの26本の短編がヒットし、ユニバーサルに莫大な富をもたらした1928年。
ウォルトは制作費の増額を求めてニューヨークのミンツの元へ乗り込みますが、そこでミンツから突きつけられたのは、値下げの要求と、スタッフの引き抜きという冷徹な事実でした。

この頃、

著者プロフィール

TDRだけじゃなくて映画やウォルトや海外パークも好きなDオタを増やしたいというエゴで動画をあげています。

メインは映画関連と海外ディズニー。
たまに思想の強いディズニーの歴史モノを潜らせています。

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